かぼちゃほろほろ

フィクションを書きます

いつかの、(春待ち)

二章

 

 

 春を待っている。春はまだ遠い。グラウンドを覆う霜柱を踏みしめるスパイクの音が聞こえる。


 わたしは自転車を漕いでいる。氷面をタイヤが滑る。中学まではもっぱら徒歩が移動手段だったから、冬期の移動に自転車を使おうと決めるには少し勇気が必要だった。雪の上を走るのはまだいいけど、今日みたいに路面を氷が覆う日は本当に危ない。じゃあなんで自転車なんか使うんだ、と言われればそれまでなんだけど。


 サッカー部が朝練に精を出している。雪上でできるトレーニングなんてたかがしれていると思うんだけど、よくもまあ毎日走り回ろうと思うものだ。彼らを横目に駐輪場へ向かう。


 そのとき、身体がぐらりと傾いた。咄嗟に左足をペダルから離してバランスを取り直そうとするが、すでにタイヤは宙に浮いていた。そのまま右肩から地面に叩き付けられる。鈍い痛みを感じた少し後、自転車のハンドルが脇腹にぶつかった。痛い。痛い。痛い。奥歯を食いしばって身体を起こすと、ぐにゃりと拉げた前輪が目に入った。どうやら側溝を覆う金網の上でスリップしたらしい。幸い携帯電話はコートの左ポケットに入れていたから、壊れて困るようなものは何も破損していなかった。


 じんじんと痛む右肩を押さえながら、ひとまず自転車を駐めて鍵を掛ける。今から自転車屋に向かうような時間も気力もないから、放課後に何とかしよう。わたしは校舎へ向かって歩き出す。駐輪場を出ると、氷点下の空気が少しだけ揺れて、わたしの頬を刺した。よく晴れた冬の日。こういうのを、放射冷却、というらしい。空と地面のあいだには何もない。からっぽの空間を見上げた。そういえば、どこからが空なんだろう。触れられないものにも名前がある。


 手を洗おうと通学鞄を抱えたままトイレに入る。手洗いの鏡を見ると、頬に裂傷ができていることに気が付いた。さっきの痛みはこれのせいか。その途端、また刺すような痛みが訪れた。傷は実際に目にしてからより痛くなるらしい。理由はよく分からないけど、たぶんそう。他の生徒の目に留まるようなことはしたくない。ただでさえ留年が決まった唯一の高校生だっていうのに、あんな自転車事故、いや事故なんて言いたくないけど、あれを起こしたのが話題になったら間違いなくわたしの居場所は狭くなる。


 保健室を訪ねるわけにも行かず、諦めて教室に戻る。血は出ていないみたいだけど、肩の打撲傷は大丈夫だろうか。一抹の不安に駆られながらも、ひとまず頬の傷はマスクをして隠すことにした。


 
 お昼ご飯を食べに屋上へ向かう。一般的な高校とは異なって、ここでは平常時にも屋上が開放されている。なんでも二十数年前に生徒会との議論の末、鍵の常時開放を勝ち取った生徒がいたそうだ。その話を聞いてから、屋上へと続く扉を開けるたびに知らないその誰かへ感謝を捧げることにした。わたしだけの空間を、ありがとう。
 幸いなことに屋上には雪がなかった。コンクリートに張った薄氷が日差しを浴びて溶け出している。じんわりと濡れそぼったコンクリートの上を上履きで歩く。ちょっと気持ち悪いけど、多少靴底が汚れるくらいなら、まあいいや。濡れていない場所を探して、腰を下ろした。チリトマトのカップヌードル。お湯はポットに入れて持参している。3分待つ間に辺りを見回す。遠くに山が見える。あの山はこの街でいちばん高い。わたしはあの冠雪した姿が好きだ。例年は十二月初めに真白な姿へと衣替えをするのだけど、今年は少し遅かったらしい。


 わたしがこの街で暮らし始めたのは昨年の四月、高校進学を機に一人暮らしを始めたのがきっかけだった。そのときからあの山はずっとわたしを見ている。月がどこまでも追いかけてくるみたいに、街のどこからでもあの山は見える。曇りでわたしが見つけられないときでも、向こうはわたしを見つめているような心地がした。遠くまで広がる裾野は、わたしのコンプレックスだった撫で肩によく似ていた。

 


 その隣に、キャンバス。

 


 あれ、先客がいたのか。そう思って視線を移したけど、そこには誰もいなかった。
キャンバスの上にはあの山の絵。雪のない黒々とした姿。どうしてこの時期に、夏山を描いているんだろう。その疑問を投げかけるべき相手は見当たらない。
 そういえばわたしは美術部だった。帰宅部と兼部である。地方の進学校にはよくありがちな「部活動は参加必須」という校則のせいだ。絵を描くのは好きだったからなんとなく選んだ。それももう半年近く行ってないんだけど。
 わたしの記憶では、美術部にこんな画風の部員はいなかった。一ヶ月そこらの活動期間ではあるが、それなりに部員一人一人の絵は見てきたつもりだ。この半年で新しい作風に挑戦しようとしたのだろうか。高校生ならそれは十分にあり得る。キャンバスには湿った箇所が見当たらない。朝露でできた染みがないとすると、このキャンバスは今日、しかもこの三時間以内に置かれたもののはずだ。


 ふと、我に返る。どうしてわたしは、このキャンパスに興味を抱いているのだろう?不思議な画風ではあるけれど、決して上手い絵だとは思えない。山は二次元のままにのっぺりとしているし、色彩にも極めて乏しい。まるで一色で塗られたみたいに。


 思い返してカップヌードルの蓋を開けると、既にスープは無くなっていた。

 

 チリトマト味のまぜそばを平らげた後、わたしは再びキャンバスの前に立った。口から吐いた湯気が空気に混じっていく。このトマトの匂いは、風に乗ってどこまで行くのだろう。あの山も嗅ぐのだろうか。

 


 二年前、父とあの山に登った。八月、まだ暑さの残る晴天の下。今日とは違う、緑に覆われた姿。わたしは特段山登りが好きというわけではない。どうして身体をあんな高いところまで持って行かなければいけないのかよく分からない。身を持ってエネルギー保存の法則を体感するには、いささか放熱によるエネルギーの放出が大き過ぎると思う。そのころわたしと父の親子関係は健全な形でこじれていて、父への返答はもっぱら、うん・いや・いらない、の三種の語彙によって行われていた。


「山、登らないか。来月から夏休みだろう?」
「うん」
「道具はこっちで準備するから。足のサイズっていくつだったんだ」
「随分大きくなったんだな。そのスニーカー、小さくないのか」
「いや」


 そんな具合に。わたしが父のことを嫌っていたかといえばそうではなくて、今よりも少し内向的だったからなのだろう。あの頃のわたしは心に物語を飼っていた。学校までの二十分の通学路。夜、布団を被ってから意識が無くなるまでのあいだ。父の車で大きな街へ買い物に出かける助手席。友達同士がばらばらになってお互いを傷付けるように戦いへと巻き込まれていく話とか、あるいはある高校のサッカーチームが全国大会で優勝を目指す話とか。わたしの中の物語はふとしたときに溢れ出し、目の前の景色を媒介して現実を彩った。海へ行けば物語の舞台は海へ移り変わった。布団の中には宇宙があった。わたしの部屋の天井は星の模様で埋め尽くされた壁紙で、しかもそれは夜になると蓄光によって光るのだった。

 
 父と山に登っているあいだ、ほとんど会話を交わすことはなかった。わたしの頭の中では主人公たちが息を切らして山道を登り、別の物語では森に隠れた敵との戦闘が始まっていた。わたしの意思とは無関係に物語は展開される。結末はわたしにも分からないし、もちろん主人公たちにも知る由のないことだろう。途中に数回の小休憩を挟んだ後、わたしと父(それから登場人物たち)は山頂へ至った。富士山より千メートル以上も低いから楽勝だろう、と心のなかで高をくくっていたけれど、わたしの見通しはあまりにも甘かった。喜びと疲労感の間でせめぎ合う頭を抱える。リュックが重い。膝に手をつき地面を見つめるわたしに、父が手を差し出す。登頂記念の握手を交わす。山頂は風が強く、脱いだ帽子が飛ばされそうになった。


 登り始めた朝七時はあんなに晴れていたのに、正午過ぎの山頂は雲に覆われていた。父の見立ては外れたようだ。悠長に昼食を楽しんでいるわけにはいかない。わたしたちはぎこちなく記念撮影を済ませたのち、そそくさと下山したのだった。

 


 それからもう、父親の影は見ていない。

 

 

 わたしは十六歳になった。うら若き、という言葉がよく似合う年頃だ。多くの大人がコンプレックスを抱えているであろう、青春の真っ只中にいる。わたしは時々、青春の入り口のことを思い返す。いまよりもっともっと、青かったころ。家の庭になった梅の実みたいに、みずみずしくて、生を疑わなかったころ。わたしは確かに、物語を紡いでいた。


 あの物語たちはどこへ行ってしまったのだろう。たしかまだ終わっていないはずだ。そう思い返してストーリーラインをなぞろうとしたけれど、上手く思い出すことができない。彼らはもう、死んでしまったのだろうか?