かぼちゃほろほろ

フィクションを書きます

壊れないままで

 わたしが心に殻を作るようになったのはたしか14歳のころで、さして勉強に精を出さなくてもテストでいい点数が取れると分かったとき、私はゲド戦記を読んでいたのにまわりの友達はライトノベルを読んでいたときのことだった。どちらが高尚だとか低レベルだとかそういう議論を脳内で交わすこともなく、ただぼんやりと、彼らとわたしは違うのだ、と思っていた。

 

 

 それがより決定的なものになったのはその年の冬だった。わたしは学級委員を務めていて、学校総会ではクラスから出された意見や質問をとりまとめ、代表として委員会へ提出する役割を受け持っていた。夏の終わりに特設陸上(わたしの学校には陸上部がなく、代わりに毎年秋になると全校に募集がかけられ地区の大会のために部が作られるのだった)を経験していたわたしは、そこで校則への違和感を訴えることにした。

 

 どうして白い靴下以外履いてきてはいけないんですか。グラウンドを走るとこんなに汚れるのに。部活のあとわたしが投げかけた問いに先生は答えられなかった。それを総会で議題に挙げてみたらどうだろう。代わりに先生はそう言った。分かりました。わたしは少しだけ怒りを感じていた。先生はどう思ってるのか言えばいいのに。
 あの先生は生徒から評判がよかった。恰幅のよいすがたはトトロによく似ていて、金曜ロードショーでトトロが放送される日には学年中でもてはやされた。バスケットボール部の顧問で、わたしの在校中には県で準優勝した。わたしはトトロは好きだったがバスケットボールには縁もゆかりもないまま育ったので、その先生とは理科の授業と特設陸上の活動しか接点がなかった。

 


 生徒会を前にわたしはひとり壇上に立っていた。生徒会が座る机の横にはあの先生が立っていた。紺色に黄緑のラインが入ったアディダスのジャージを着て。
 校則について質問なのですが。わたしは震える声で言った。わたしをぐるりと取り囲むように壇の周囲を体育座りの在校生が埋め尽くす。約600人の視線を感じながら、わたしは答えを待っていた。


 すみません。よく分かりません。副会長と書かれたプレートの上で口がパクパクと動いた。どうして靴下は白のワンポイントにかぎるんですか。その質問に最後まで答えは出なかった。片付けが終わったあと、あの先生がわたしと他の学級委員を呼び出して言った。
 この冬休みのあいだに、どうして靴下が白でなければいけないのか、考えてきなさい。それから私が生徒会と話し合って判断するから。


 それきりだった。他の学級委員とわたしの間で靴下の色が話題に出ることはなく、春が来て、私は中学校を卒業した。まるでなにも無かったみたいにあの先生は綺麗な涙を流していた。自作自演の送辞と答辞に。
 

 


 それから5年経った。成人式の会場に先生がいた。また少しだけ恰幅がよくなって、生まれたばかりの娘を抱いて。わたしを見掛けると先生は笑顔を浮かべやってきた。元気だったか。はい。お子さん、生まれたんですね。抱いてみるか。はい。そうして抱いた赤子はすやすやと眠っていた。思ったよりも重いんですね。二言三言挨拶を交わして、先生は人混みの中に戻っていった。


 わたしは教師を嫌いだと思ったことがない。いじめの当事者になることもなく、不登校になるわけでもなく、成績はいつも学年で五指に入った。彼らから期待の言葉を掛けられることはあっても邪険に扱われることは終ぞ無かった。恵まれているのだと薄々勘付いてはいたが、恩師として誰かを仰ぐようなこともなかった。成績の悪い同級生に強い言葉を投げるのを見て胸が苦しくなることはあっても、それは彼らを嫌う理由にはならなかった。


 それはきっとわたしのこころが大人びていたからでもなく、教師を呼び捨てにする周囲に嫌気が差したからでもなく、彼らの奥にある人間らしさを愛していたからではなかったか。娘を抱くあの先生の姿を見てから、わたしはそう思うようになった。きっとそう思えることこそが恵まれていた証拠なんだ、と同じようにして気付いた。


 閉じ籠もっていた殻は高校へ進んでからも破れることはなく、今もわたしは隙間から差し込む光に縋って生きている。もうわたしはわたしを特別だとは思わなくなった。世の中には周りと違うことを自認している人間がごまんといる。それが肥大した自意識の賜物なのか生来的なものなのかは分からないけれど、人は誰しもそれなりに生きづらさを抱えている。


 ときどきわたしの母校に通う学生のことを考える。彼らはまだ白い靴下を履いているだろうか。土埃は落ちないまま、汚れになる。